白神ももこブログ
1月のこと

2019年になってすぐは、群馬の富岡製糸場へ行きました。
昔いろいろ調べていた野麦峠の女工哀史とはちょっと違って、お嬢さんたちが研修も兼ねて来ていたようで、設備が整っていたし、莫大な国家予算が投入されていたのを感じたり、義妹と繭石鹸買ったりした。

5日からは京都の芸術センターで岡崎藝術座の公演の準備。新年早々アサード(アルゼンチンなどのバーベキュー)を試して沢山牛肉を食べた。久しぶりに(ま、本郷でも立ち合ったが)関わる神里雄大だったが、南米を通して世界や現在や人間を見つめる視点はさすがであった。し、以前鰰の時より遅刻もしないし喧嘩もしなかったので(ま、それが普通なんですけど)お互い成長したみたいだ。

その後豊橋、キラリふじみダンスカフェなどありつつ、再び京都でリハーサルに立ち合い、無事に幕が開けたのを見届けてから、モモンガ・コンプレックスのリハーサル。11月からこつこつと始めていたものの、年明けでは初。
桐朋学園の『どんどこどん』(1月25日〜28日)の振付もあったり、SAKA-SAMAというアイドルの『世界』(Falsettosのmiukoちゃん作曲)に振り付けたのを見届けたり、といろいろ。
『どんどこどん』は志賀廣太郎さん演出の専攻生修了公演でもあり、とても良かった。自分の言葉で話すこと、個人が尊重されることについての大切さ、学校だから教育だからこその守られている個人がこのあとどうなるのか、エールとともに世の中の厳しさも思う。

そんな中でしたが、印象的だったのは、沖縄に行きまして、組踊を観に行ったのは私の中でかなりの収穫でした。
松本の土屋さんのススメで電照菊を眺めたり、琉歌のワークショップ(8886)を受けたり。組踊は新作の『スイミー』(子どもたち)、古典『ニ童敵討』、『さるかに合戦』を観ました。組踊は外交のためにできた芸能で、中国と本土の間にいた琉球という国のしたたかさと持ち前の明るさを感じることができて、新作もその要素を受け継いで色々な地方から来た登場人物が力を合わせましょう、という展開でとても良かったです。
電照菊
電照菊↑
まだまとめきれないが、民衆のしたたかさと明るさというのは民謡の中にも隠されていて、一昨年訪れた香川県のひょうげ祭りのことも思い出しました。
色々な現場で沢山吸収させていただきつつ、さてさて、3月はいよいよモモンガ・コンプレックスの『となりの誰か、向こうの何か。』@若葉町WHARFです。稽古も大詰めに。楽しい。
公演情報はこちらです!!!
写真は新年リハの時の各地のお土産いっぱいの図。
モモコンリハの様子

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7月に向けて

夏ですね。
6月は2日、キラリふじみダンスカフェにて(今年で三年目!)、7月の『病める舞姫』のためのワークインプログレスを行いました。いろいろやってみる、ことから始まりましたが、ここから更に西井夕紀子さんも混ざってあーだこーだ創作中です。多分真面目なのにふざけた感じになるでしょう。ワークインの様子こちら。Photo by 松本和幸
ダンスカフェ

ダンスカフェ4

ダンスカフェ3

ダンスカフェ5

次の週は、豊橋の小学校と劇場で長峰さんとワークショップしてきました。小学校では私の好きな百鬼夜行の絵から連想する踊りを作りました。

次の週は松本へ、まつもと大歌舞伎を観てきました。街をあげての大歌舞伎と言った感じでとても良かったです。

次の週は、鳥取夏至祭へ、ダンサー的武者修行へ。
3日間、街と触れ合いながら、集まった素晴らしいダンサーや演奏家、パフォーマーの皆さまと即興的に作り上げて行く祭。
普段、影で指揮とってばかりいるので、修行でした。良かったです。

それから、スタジオRADAオープン以来受け持っていた月曜日朝バレエをこの度卒業しました。長年ありがとうございました。7月からはコンテンポラリークラス(月1回)を担当します。7月16日になります。→Studio RADA

昨日、文学座のこどもフェスの体操を振り付けてきました。あんなに爆笑しながら作って良いなんて、なんて懐の深い劇団なのか、、と。素晴らしいです。ありがたいです。

そんなわけで、それ以外はほぼ毎日リハーサルをしています。
7月24日(火)は是非、d倉庫へいらしてください!一夜かぎりです。
そして、かんきつトリオのwebサイトも作りました。
こちらからも予約できます。
どうぞよろしくお願いします。↓↓↓!!!

かんきつトリオwebサイト

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ワークインプログレス

なんでも民謡化(家)、ワークインプログレス、お試しで実際に作ってみる日でした。散歩したりお店の人と話したり。
淡々とゆるやかな3人組です。そして急に大胆に何かが動き出して立ち上がる瞬間があったりして不思議だけどとても良い速度感。
見学に来てくださった方々に貴重な意見をいただいたり、収穫も沢山ありました。
私は、元々視野が狭いので、観光や歴史的に目立つ箇所ではなく、本当に小さいことにフォーカスをあてて一つずつ。ふるい石垣の上から上塗りするも塗りきれてなかったり、鉢植えがもりもり森化してたりする、お洒落になりきれない町のかわいさに気づいたり。
ゴム工場と風船屋さんとか、呉服屋さんで大相撲カレンダーをもらったり画材屋さんが紙をくれたりしました。
民謡化3
民謡化2
民謡化4
絶賛『ウォールフラワーズ。』『勘違いの庭。』リハーサル中ではありますが、稽古休みの日を利用していろいろ模索できた日。
円空みたいなことをやりたい、、というぼんやりとした妄想から発生したプロジェクトで、昨年はずっとインプットをひたすらしたり、なかなか形にすることに苦戦し頭の中での模索をしてきましたが、長峰さんの空間が入って来たことでぐっと具体的になってきました。
どうやって展開させていくかが少しだけ見えてきました。
民謡化5
民謡化6

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本

最近、立て続けに本を買っている。
宮崎でんまつーポスと行動して高橋るみ子先生とお話していて、あー、これ大事だなって思って、かつ、やろうとしていることのヒントがありそうで勉強し直そうと思って買った松本千代栄先生の本となんとなくチェコの戯曲ってどんなかな、と思って買った二冊。
一貫してなさそうで、私の中では繋がってると思っているのだけど、どう関係しているのか線で繋ぐなにか、言葉を探している感じ。

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ヒントはいつもふとしたところ。

4月からぽつぽつ考えていてなんでも民謡化(家)について。
民謡的要素を使ってどうすれば現在にもその民謡的機能を見いだせるのか、をずっと考えている。(ざっくりだが、民謡的要素とは、お国自慢や土地の情景、歴史的背景などが歌に入っている。民謡的機能→その歌が商人たちを通して移動して別の土地に伝わり土地と土地をつなぎ、芸者などによっててオリジナルに定着していったりした)

先日、F/Tキャンパスというフェスティバル/トーキョーの一環で大学生たちが理論・評論、文化政策、実技それぞれのワークショップを受けて観劇をして、、という朝から晩まで芸術について考えるという企画の講師として3泊4日大学生らと過ごしました。
地方の大学から来ている学生もいれば都内の大学に通っていて地元が地方の学生など出身地がバラバラ。
ある学生の感想でもあった、交流会でわいわい話している時に、今いる(大学などがあって今住んでいる)場所や出身地の自慢をそれぞれがしていて、それが楽しかった。
というのを聞いて、(実際私も交流会の時にその会話に参加していたのだが)たしかに、あーこれが東京なのかもしれない、とか漠然と思い、面白く感じた。
青森県出身の子が今は香川の大学にいて、東京でりんごとうどんの自慢をしている、とか。
ここになにかしらのヒントがあると感じてはっとした。
何気ない楽しい会話の時間のそこに着眼して面白いと感じた、と感想を言う学生の感性も素晴らしいと思った。

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稗搗節(宮崎県)

たまたまですが、宮崎のダンスカンパニー、んまつーポスさんのワークショップで宮崎県の椎葉村に行きました。
椎葉村は日本三大秘境の1つらしく、とても美しく山深いところでした。
椎茸が美味しい。
後々から、民謡辞典を調べて椎葉の名は有名な稗搗節に登場することが分かり、これからは仕事で行く場所の民謡を調べて行こうと思いました。
山深いため、米ではなく稗ができ、稗を臼で搗いた時に歌ううたで、平家の那須大八と平家の鶴富姫との悲恋も歌われていて、ドラマを感じます。
民謡で義経千本桜や平家物語が追えるのかな、とぼんやり。
飛行機で移動できちゃう今は旅はワープで線というより点だな。

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ひょうげまつり2


最後の御神輿ごと、みんなでざぶんする様子。
しょうもない感じに見えますが、ここに何かしらの明るくあっけらかんとした力を感じたりするから不思議。

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これは出発時。わりときれいだが最終的にぐずぐずになる。

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運ぶものも全てお手製ですぐ壊れそうなもの。
脇にさす刀もカボチャとずいき。(終わる頃にはぐにゃぐにゃに)
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町人の衣装と持ち物。ふさふさはたまに投げる。

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たぶん、帝的な人。

これからの立ち振る舞いとしていろいろヒントを得た。

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郡上おどりとひょうげまつり

8月の14日、前日のかなっくホールでの子どもワークショップ(小2〜中3までいたカオス)『僕らの劇場』の怒濤の発表会を終えてすぐに西井さんと決断して郡上おどりに。
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郡上八幡までは昼の新幹線で行けば18:30くらいまでに着く。
踊る前に腹ごしらえを、と思って入った店で偶然昔可児の市民劇でお会いした方に出会い、いろいろ教えてもらっていきなり参入。

狭い道(多分東海道とかと同じ幅)、の十字路の部分にお囃子の山車が置かれそこを中心に細長い十字の輪を作って踊る。

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『げんげんばらばら』『郡上甚句』などを踊り、やはり盛り上がるという『春駒』の時は曲がかかった途端にわ!っと沸いた。

細い道に2〜3重の輪が細長く作られるので前も後ろも右も左もかなり人が近い。近いけれど東京から来たからとか地元の誰とか浴衣などを着ていないとかあんまり関係なしに皆で踊っていて、ある意味バリアフリーな印象を受けた。
誰でも入れる許容をもち単純だが熱中できる踊りの中に、農民の強さやそこにいる人々の揺るぎない強さを感じた。おどりがあるから強いのか、強いから誰でも入れることができる許容と揺るぎない自信があって踊るのか。昔は武士もお忍びで身分を隠して踊りに来ていたとかいないとか。
どちらにせよ、農民の力強さを感じた。

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農民発祥のおまつりでもう一つ。
9月10日に香川県浅野のひょうげまつりへ。
具体的に踊りはないが、顔は元が分からないくらいふざけた化粧をし、米袋やぬか袋でできた裃や前掛けをして、鎧の代わりに里芋の葉や日本刀の代わりにずいき(芋の茎)とカボチャ(柄にする)を腰にさしており、武士や権力者を痛快に風刺したオモシロ祭だった。
全てハリボテ。
馬も御神輿も竹や葉っぱや藁などのその辺にありそうなチープさで作られている。
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参加者は、午前11:00頃から集まってひょうげうどんという婦人会お手製のうどん(200円で一杯おかわり可能)をわいわい食べた後、酒を飲んだりしてだらだら待ち、子ども(巫女さん)の支度が終わると順番に化粧をして衣装(紙)をつける。

誰だか分からない匿名の武士や町民や神主などになり行列をつくって練り歩く。
最後に御神輿がやってきて、この御神輿がかなり暴れつつふざけながらもお世話になった方の前でわっしょいする。
練り歩いた末、新池という池に御神輿をぶち込んで終了する。ぶち込むという言葉が似つかわしい感じにただただ勢い良く御神輿ごと池に入る。なんでもないがとても痛快かつばかばかしい感じで笑える。
神さまもびっくり。水の神さまありがとよ!!!みたいな。
ぶち込み動画
それもこれも、このお祭りの由来を聞くとなっとく。
この土地は気候は穏やかで良いのだが毎年深刻な水不足に陥る地域で(今も良く水不足になるけど)、農作物のために矢延平六という技術者が農民たちとため池を作った。→農民たちは矢延平六をとても慕っていた。→高松城を水攻めにするんじゃないか?という戯言が広まる。→矢延平六は徳島に追放されてしまう。
ということで、矢延平六を慕っていた農民たちは彼を偲ぶために始めたが矢延平六の為と言えず隠すために派手な化粧をし、わざとひょうげ(おどけ)たのではないか、と言われているそうな。
と、いうエピソードを地元の小学生たちが寸劇で発表するのも見られる。
今では水と豊作に感謝したお祭りだが、武器が野菜だったり見るからに紙で出来たものだったりするのを見てポリシーを感じる。今一番必要なお祭り。
武器で戦わず、ひょうげて油断させることは、私が思う踊りのスタンスと似ていてとても親近感が湧く。
お隣の仏生山では松平の大名行列は、かなりきらびやからしくそことの対比も面白いと思った。
写真を後ほどもう少し詳しくアップしようと思う。

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なんでも民謡化(家)。

実は、5月からひそーやかに少しずつ音楽の西井夕紀子さんと『なんでも民謡化(家)』と企画名なのかユニット名なのか分かりませんが名をうって活動を進めております。じつは。
この『なんでも民謡化(家)』とは、日本中を歩き回ってその土地にあった素材を活かしてイカした仏像をこれでもかと彫りまくった仏師の円空に憧れた白神が、そんなことが私(踊り)にもでできないものか?と思って、西井さんに声をかけたことから始まりました。西井さんは、新潟の十日町で地元の方々とコンスタント関わってそこに住んでいる人と歌や音楽を作ったりしていて、通ずるものがあると思ったのでした。そんな私のもやもやとした思いをお話しし、快諾。そして、二人で色々あーだこーだ話して、そこにいる人だけに固執せず、例えば道を歩いていて気になったもの、石ころ、動物、隠れた名所や素材から踊りや歌を見いだせないだろうか?ということで『なんでも民謡化(家)』としました。

で、そんなことを言っても、まずは民謡って?ということで民謡の起こりや民謡の派生と伝播などが気になったので記念すべき第一回目のリサーチをしようということに。よくよく考えたらうちの母は民謡歴12年で名取でもあるので、お、こんな身近に先生が、そら都合がいい、ということで早速母から色々話を聞きました。
元々、農耕民族であるので、農作業の仕事歌から春は祈りの歌、秋は豊穣の感謝や喜びの歌、そして冬になると出稼ぎへ行き、その出稼ぎ先で歌が出会うことや、北前船などの商人たちから牛深ハイヤ節→佐渡おけさ→青森アイヤ節みたいな感じで伝わったり、旅先のお座敷で芸者に伝わって体裁が整っていったり、、。
そんな感じで、形や歌い方を変えながら流行歌になってみたりだそうな。
ロシア民謡についてもシベリア抑留から帰国した人たちが歌ったのが流行ったきっかけだったりと。これも民謡。
他にも唄、音頭、節、甚句の違いなど。

第二回目のリサーチは実際に民謡大会へ出向いて今の民謡を聴きにいきました。ついでに民舞もいくつか見れました。民謡、歌詞を見なければ殆ど分かりませんが、お囃子がとても面白い。
「ピートコパートコ」「ショーカイヤ オロロンバイ」
日本人は昔っからオノマトペが好き。
初めて行った民謡大会なのに最後の同窓会音頭というので舞台上に上げられ、人生の先輩方と一緒に踊ったのでした。

まだまだリサーチは気ままに続きますが、あくまでも既存の民謡をどうこうしようってわけではなくて、どこにでも民謡になりうる芽吹きを感じる手助けになるとして、考察を深めていきたいと思います。
手探りなので、もし、なにかコレを聴きにいった方が良いよ!とかコレを読みなはれ!とかございましたら、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします!

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