白神ももこブログ

先日、キラリ☆ふじみ芸術監督の多田さんと職員の方々と劇場の近くの養護学校(高等部)の音楽の授業に見学へ行きました。

授業も学校もとてものびのびしていて、温かく守られていて、決して整列させられたりすることなく両腕を高く上げたり動き回ったり飛び回ったりしながら思い思いに声を出して歌っている姿に感動しました。こんな学校で学べたら最高だな、、なんて思っていたりしました。
かつて(特に障害?と呼べるものはないのですが)自分から特別学級への編入を希望したこともあった私ですが、普通学級にいて苦しかったことや悔しかったことを同時に思い出してしまって帰り道にぼろぼろ泣いたのでした。

何が人間的というのか。彼らの衝動的な喜びとか悲しみとかがダイレクトに伝わってきて頭が混乱してしまってその場では何も言えなくなってとぼとぼ帰ったのでした。

特に障害についてなんの知識もなくて知らなすぎる私がブログにこんなことを書くのはどうかと思ってしまって最初はなにも書けなかったのですが、そもそもそういう風に分からないから書けないみたいに思ってしまうのもどうかと思いました。
障害と言っても、この資本主義社会においての効率やスピード感が基準になっていて、そこに順応できない人というだけで障害があるとされ、一線引かれているようにも思えました。

人にはいろんな表現方法と距離感があって、そこに優劣はないと思っています。
私たちは、知らないだけなんじゃないかと思います。近い仲だとしても知らないことが沢山あります。それを時間をかけて知ることで日々の人間関係を学んでいます。だから、今、場所や地位によって分類分けされすぎてお互いを知らないだけなんじゃないかと思いました。だからちょっと基準(と呼ばれて順応してきたこと)と違うだけで嫌悪したり驚いたりしてしまうのではないかと思いました。

ちょっと話が変わってしまうかもしれませんが、、
私は、相当頑固な子どもでした。
かけ算九九をなんの疑問もなく暗記しているクラスメイトを見て、「何故ただ暗記しているのか。どうかしている」と感じてずっと覚えることを拒否していました。でもそれだと何も進まないよ、ということで渋々覚えました。覚えれば大人は喜ぶのか、とあきらめにも似た感覚でした。(今思えば効率的に当たり前のことなのですが)
図工の絵は、明らかに違った変な宇宙人みたいな人の絵を描いていたので、課題と違うし子どもらしくない、ということで描きなおさせられました。だから、徐々に大人が喜ぶ子どもらしい絵を描けば良いんだ、ということや人に好かれることを学びました。

私は、学校や家で私生活において我を通すことを我慢することを学んだように思います。
我を通すと嫌われてしまうかもしれないという恐怖がいつもありました。
だから、素直な我は、もしかしたら未だに通せないでいるかもしれません。
最近は、おばば言葉に救われて結構言いたいこと言うようになれましたが。

そういえば前に、『春の祭典』を観たある先輩ダンサーに『白神は、本当に空気読めないよね。そこが良いんだけど。』と言われたのもふと思い出しました。
もしかしたら、みんな空気読んで“批評の対象になるには、こうあるべき”をやってるのかもしれないとその時思いました。
私は、それからまた頑張って少しずつ学びました。
そうやって日々順応して生きているようにも思います。

順応することが本当に良いことなのかどうかは分かりません。
でも、他者にどうやったら好かれるかを考えるのは大事なことだと思いますし、相手が誰によってかによっても程度が違います。
だから、お互いに知るという環境や時間をどう作るかというのは課題にしていきたいと思いました。
知るために、じっと立ち止まる時間を速く歩かされている毎日の中に少しでも作ることで変わっていくように思います。

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なんでも民謡化(家)。

実は、5月からひそーやかに少しずつ音楽の西井夕紀子さんと『なんでも民謡化(家)』と企画名なのかユニット名なのか分かりませんが名をうって活動を進めております。じつは。
この『なんでも民謡化(家)』とは、日本中を歩き回ってその土地にあった素材を活かしてイカした仏像をこれでもかと彫りまくった仏師の円空に憧れた白神が、そんなことが私(踊り)にもでできないものか?と思って、西井さんに声をかけたことから始まりました。西井さんは、新潟の十日町で地元の方々とコンスタント関わってそこに住んでいる人と歌や音楽を作ったりしていて、通ずるものがあると思ったのでした。そんな私のもやもやとした思いをお話しし、快諾。そして、二人で色々あーだこーだ話して、そこにいる人だけに固執せず、例えば道を歩いていて気になったもの、石ころ、動物、隠れた名所や素材から踊りや歌を見いだせないだろうか?ということで『なんでも民謡化(家)』としました。

で、そんなことを言っても、まずは民謡って?ということで民謡の起こりや民謡の派生と伝播などが気になったので記念すべき第一回目のリサーチをしようということに。よくよく考えたらうちの母は民謡歴12年で名取でもあるので、お、こんな身近に先生が、そら都合がいい、ということで早速母から色々話を聞きました。
元々、農耕民族であるので、農作業の仕事歌から春は祈りの歌、秋は豊穣の感謝や喜びの歌、そして冬になると出稼ぎへ行き、その出稼ぎ先で歌が出会うことや、北前船などの商人たちから牛深ハイヤ節→佐渡おけさ→青森アイヤ節みたいな感じで伝わったり、旅先のお座敷で芸者に伝わって体裁が整っていったり、、。
そんな感じで、形や歌い方を変えながら流行歌になってみたりだそうな。
ロシア民謡についてもシベリア抑留から帰国した人たちが歌ったのが流行ったきっかけだったりと。これも民謡。
他にも唄、音頭、節、甚句の違いなど。

第二回目のリサーチは実際に民謡大会へ出向いて今の民謡を聴きにいきました。ついでに民舞もいくつか見れました。民謡、歌詞を見なければ殆ど分かりませんが、お囃子がとても面白い。
「ピートコパートコ」「ショーカイヤ オロロンバイ」
日本人は昔っからオノマトペが好き。
初めて行った民謡大会なのに最後の同窓会音頭というので舞台上に上げられ、人生の先輩方と一緒に踊ったのでした。

まだまだリサーチは気ままに続きますが、あくまでも既存の民謡をどうこうしようってわけではなくて、どこにでも民謡になりうる芽吹きを感じる手助けになるとして、考察を深めていきたいと思います。
手探りなので、もし、なにかコレを聴きにいった方が良いよ!とかコレを読みなはれ!とかございましたら、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします!

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こんにちは。モモンガ・コンプレックスの白神ももこです。
3月のモモンガ・コンプレックス本公演『遠くから見ていたのに見えない。』も終わり、新年度になりましたので、ここいらでブログをまた始めたいと思いたちました。
タイトル同じくして、前回のブログのアカウントをもうすっかりうっかり忘れているので、webサイトを新しくしたのに便乗しました。
特に、ここではモモコン以外の公演のお知らせもしますが、普段考えていることをまとめて文章化できる場所を敢えて作りたいな、と思ったので不定期ですがたまに更新して参りたいと思っております。テンションは相変わらず低めです。

と、言って得に初回に書きたいことそこまでないのですが、4月は11日から福岡へ行きます。5月に太めパフォーマンスの二人の作品『浮きあがらないあぶく』の演出をするのでそのクリエーションのためとワークショップを開催します。
【日時】
2017年4月14日(金)19:30~22:00
    4月15日(土)19:30~22:00

【会場】
ゆめアール大橋 大練習室

【内容】
・体を動かす
・ダンスを演出する
・質問会
ダンスの「演出」の部分に注目し、実地と質問会を行い、スキルアップを目指します。
…スキルアップって?まあ、良いか。
ダンス公演の演出をしに行くので今回はダンスの演出について考えようと思います。

そして、公演はこちら、↓
太めパフォーマンス第2回単独公演
『浮き上がらないあぶく』

人魚でもなくトドでもないヒトが踊る。
欲を抑えず充たしてきた たるんだからだ が
理想を求め、じたばたする。

演出:白神ももこ
振付:乗松 薫
出演:太めパフォーマンス(鉄田えみ、乗松薫)

日時:
2017年5月20日(土)18:00開演
    5月21日(日)14:00開演
    (開場は開演の30分前)

会場:枝光本町商店街アイアンシアター

チケット:前売/2,800円
      当日/3,000円

予約方法:
件名を「浮き上がらないあぶく」とし、
本文に①お名前 ②日時 ③枚数 ④ご連絡先アドレス
を記載の上、下記メールアドレスまでお申し込みください。
yoyaku.futomeperformance★gmail.com
(★→@に変更してください)
太めパフォーマンス
“理想を求め”ってあるけど、いったいあの二人の理想って何なのかしら?楽しみです。

あとは、モモコンが5月13日(土)にキラリ☆ふじみのダンスカフェでやる『パン。』について考察中です。

以前から気になってて公演終わったら読もうとチェックしていた河出書房新社から出てる『パンと昭和』という本を購入。表紙の写真の移動パン屋さんの売り文句すごい。「すっかりパン食めっきり健康」
パンと昭和 小泉和子編

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