8月の14日、前日のかなっくホールでの子どもワークショップ(小2〜中3までいたカオス)『僕らの劇場』の怒濤の発表会を終えてすぐに西井さんと決断して郡上おどりに。
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郡上八幡までは昼の新幹線で行けば18:30くらいまでに着く。
踊る前に腹ごしらえを、と思って入った店で偶然昔可児の市民劇でお会いした方に出会い、いろいろ教えてもらっていきなり参入。

狭い道(多分東海道とかと同じ幅)、の十字路の部分にお囃子の山車が置かれそこを中心に細長い十字の輪を作って踊る。

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『げんげんばらばら』『郡上甚句』などを踊り、やはり盛り上がるという『春駒』の時は曲がかかった途端にわ!っと沸いた。

細い道に2〜3重の輪が細長く作られるので前も後ろも右も左もかなり人が近い。近いけれど東京から来たからとか地元の誰とか浴衣などを着ていないとかあんまり関係なしに皆で踊っていて、ある意味バリアフリーな印象を受けた。
誰でも入れる許容をもち単純だが熱中できる踊りの中に、農民の強さやそこにいる人々の揺るぎない強さを感じた。おどりがあるから強いのか、強いから誰でも入れることができる許容と揺るぎない自信があって踊るのか。昔は武士もお忍びで身分を隠して踊りに来ていたとかいないとか。
どちらにせよ、農民の力強さを感じた。

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農民発祥のおまつりでもう一つ。
9月10日に香川県浅野のひょうげまつりへ。
具体的に踊りはないが、顔は元が分からないくらいふざけた化粧をし、米袋やぬか袋でできた裃や前掛けをして、鎧の代わりに里芋の葉や日本刀の代わりにずいき(芋の茎)とカボチャ(柄にする)を腰にさしており、武士や権力者を痛快に風刺したオモシロ祭だった。
全てハリボテ。
馬も御神輿も竹や葉っぱや藁などのその辺にありそうなチープさで作られている。
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参加者は、午前11:00頃から集まってひょうげうどんという婦人会お手製のうどん(200円で一杯おかわり可能)をわいわい食べた後、酒を飲んだりしてだらだら待ち、子ども(巫女さん)の支度が終わると順番に化粧をして衣装(紙)をつける。

誰だか分からない匿名の武士や町民や神主などになり行列をつくって練り歩く。
最後に御神輿がやってきて、この御神輿がかなり暴れつつふざけながらもお世話になった方の前でわっしょいする。
練り歩いた末、新池という池に御神輿をぶち込んで終了する。ぶち込むという言葉が似つかわしい感じにただただ勢い良く御神輿ごと池に入る。なんでもないがとても痛快かつばかばかしい感じで笑える。
神さまもびっくり。水の神さまありがとよ!!!みたいな。
ぶち込み動画
それもこれも、このお祭りの由来を聞くとなっとく。
この土地は気候は穏やかで良いのだが毎年深刻な水不足に陥る地域で(今も良く水不足になるけど)、農作物のために矢延平六という技術者が農民たちとため池を作った。→農民たちは矢延平六をとても慕っていた。→高松城を水攻めにするんじゃないか?という戯言が広まる。→矢延平六は徳島に追放されてしまう。
ということで、矢延平六を慕っていた農民たちは彼を偲ぶために始めたが矢延平六の為と言えず隠すために派手な化粧をし、わざとひょうげ(おどけ)たのではないか、と言われているそうな。
と、いうエピソードを地元の小学生たちが寸劇で発表するのも見られる。
今では水と豊作に感謝したお祭りだが、武器が野菜だったり見るからに紙で出来たものだったりするのを見てポリシーを感じる。今一番必要なお祭り。
武器で戦わず、ひょうげて油断させることは、私が思う踊りのスタンスと似ていてとても親近感が湧く。
お隣の仏生山では松平の大名行列は、かなりきらびやからしくそことの対比も面白いと思った。
写真を後ほどもう少し詳しくアップしようと思う。

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